スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- ) --:--:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 admin page top↑
アンディ・ウォーホル『マリリン・モンロー』
2008 / 08 / 31 ( Sun ) 20:54:37
パソコンあたらしくなったので、打つのに慣れるためにまたしても昔の文章を引っ張り出してみます。

論文ではなく、感想です。


「アンディ・ウォーホル『マリリン・モンロー』」

 ポップ・アート、大衆文化とはいったい何か。その問いは何よりももう一度「芸術とは何か」という問いにまでさかのぼらせる。そしてその疑問は最終的には「人間とは何か」という強烈な問いに立ち返らせるのではないかと思っている。
殊にアンディ・ウォーホルの作品は強烈である。そこに描かれた図像は確かに珍しいものではなく、当時の人々にとっては慣れ親しんだものばかりであり、解り易くまさに大衆的な文化であるといえるだろう。そのようなウォーホルの手法は複製時代のまさに中心部を貫いている。
シルクスクリーンに描き出された人物は、譬え誰もがしっている「マリリン・モンロー」でさえ、知っているようで知らないものに見えてくる。
元の写真から色数や階調を落とされ、一目見た印象はとてもポップでおしゃれにさえ見えるかもしれない。誰もがこの作品を見た瞬間に「マリリン・モンロー」だと理解することも可能である。
しかし、更によく眺めた時に、絶大な人気を誇ったシンボル「マリリン・モンロー」はただ消費される公的な記号でしかなかったことに気付かされるのである。

 ポップ・アートは非常に明るく開放的だと言える。同じポップアートであるモンドリアンの≪ブロードウェイ・ブギウギ≫も非常にポップ的である。けれど、それは路線図に、地図に、都市に似ている。
そこにはどうしても無機質な何かを感じざるを得ない。大量生産・消費時代が味気ない時代だとも、大都市も冷たいとは思わないが、それでもポップ・アートには常に空虚感が漂っているように感じられる。
 
 例えば、不意に漢字が読めなくなることがないだろうか。ここに「古い」という漢字があったとする。普段はこの漢字のもつ意味を伴った形で理解するだろう。しかしその意味内容を伴った文字としての「古」ではなく、「古」という計上でしか認識できなくなるのである。
彼の≪マリリン・モンロー≫という作品を初めて見たときに、同じ感覚を味わったのである。「ポップ・アート」の姿勢に照らし合わせるなら、「マリリン・モンロー」も「オブジェ」でしかなかったということである。

 意味あるものも大量にコピーしてしまえば無意味になる。「意味あるものがおぞましい。無意味なものほど格好いい」と言ったウォーホルに相応しい芸術、それがコピーという「生産」だったのである。
誰もが手に出来ること、それを平等といえば聞こえが良い。けれど、それは誰もが同じこと(非個人と化していること)をも指し示す、いわば「コピー」と類似した意味にもなるということを、ウォーホルは≪マリリン・モンロー≫という作品を通して語りかけてくるようである。
 だがウォーホルがこの大量生産大量消費、イメージ氾濫の時代を憂いていたという結論に導くのは少し急ぎすぎだろう。彼はその時代を過小評価も過大評価もすることなく、まさに「オブジェ」として見ていたといえるのではないだろうか。

 最後にこのようにウォーホルが抽出したものは「公的」なものである、としたが、日高優はそれについて面白い指摘をしている。あくまでウォーホルが表現したのは公的なものであるが、受容する観客側に実際はすべてが委ねられる、というのである。
 つまり、ウォーホルの作品はそれまでの観客の「マリリン」とのコミュニケーションを否定するものではなく、記号化された「マリリン」が公的であれ、私的であれ、観客側が私的な空間で「マリリン」を消費するとき、憧れた「マリリン・モンロー」とコミュニケーションが成立するというのだ(参照:日高優、「カムフラージュの技法」『美術史の七つの顔』、未来社、2005)。
 ウォーホルの手法は「オリジナル」と「コピー(複製)」との差をなくしてしまう。故に、芸術界では絶対であった「作者」という主体(それはオリジナルだけが持ちうる「アウラ」にも繋がる)を消し去ることを可能にしている。
ウォーホルの作品はウォーホルの知らないところで消費され、ウォーホルという主体を完全に切り離す。
主体が存在しないことは、言い換えれば誰しもがその作品の主体になれることを表しているともいえるかもしれない。

スポンサーサイト
思考 TB:0 admin page top↑
Beijing 2008
2008 / 08 / 26 ( Tue ) 22:55:16
楽しかったオリンピックも終わり!
2週間泣いたり笑ったり怒ったり大変でしたね。
終わった当日その次の日も、涙腺は緩みっぱなしで、ハイライト見ては涙ぐんだりしました。
しましたよね?!(必死)

しばらくはこの余韻に浸りつつ、思うところをいくつか書いていけたらいいな、とは思ってます。

甲子園決勝もすごい試合になりましたねえ。
まさかあんなに点差が開くとは!
雑記 TB:0 admin page top↑
明日から祭り!
2008 / 08 / 08 ( Fri ) 00:15:48

あれ?こないだの祭りはどうなったんだ?!
あっという間に一ヶ月以上経っているというこの不思議。
とりあえず一ヶ月前の祭りは、微妙に残念だったなあ。やっぱり地上波だけに頼ったのがよくなかったわ。前回大会は、日韓W杯後っていうのとフジとTBSの共同放映(違ったかも)だったから結構放映されたイメージがあるんだけど。
やたらイタリアは見たよ笑。やっぱあそこはあそこで面白い。でもやっぱり王子がいないとなあ!
どこか物足りなく感じるよ。デルピエロがいたのはよかったけれど。
それとスペインが優勝したのはもちろん嬉しいんですが(やっぱり攻撃が多彩なところに優勝して欲しい)、わたしの贔屓チームがいまいちだったってのが大きいかも。
特にチェコはロシツキーが怪我でいねえし、予選で負けるしで、残念この上ない。
それでも、2008年は出ないよって言ってた(5年前だけどな)ヤンさんが見られたのは嬉しかった。
まあチェコが予選で負けたしって言っても、わたしはチェコよりトルコが好きなので、そういう意味ではこの大会は面白かったのかもしれない。
トルコ戦ひとつもテレビでやらなかったけどな!
これも、地上波だけで残念だったところだよ…この活躍は嬉しかったんだけど、本当に嬉しかったんだけど、ベスト4まで来て何故かテレビで一つも見られなかったってのが余計に悔しさ倍増だよ!
逆転に次ぐ逆転でトルコタイムなんて呼ばれたりもしてましたが、本当それを生で見たかった!大興奮したかった!!近所迷惑したかった!!!※ダメです。
なんなんでしょうねえ、トルコ。
わたしが決定的にトルコを好きになったのはここ最近で、2003年のコンフェデの戦いぶりを見てからです。
諦めないって言葉では簡単なんです。
どこの国もどこのチームも高校生だって試合終了までは絶対に諦めていない。
それが大前提であって、さらにそこを超えた部分があるかどうかが重要なんだろうな。
言葉にしちゃえば、気持ちの面と体力の面と両方がかみ合った上で…とか何とかなるなろうけど。
その辺りがトルコすごいっす。
あそこは完璧100パーセント少しの曇り無く諦めてない。
そして何と言ってもおごりがない。
わたしは何回か書いてると思うんですけど、王者のプライドって言うのが好きなんです。
だから西武も好きだしね笑。
そして…諦めないんだけど、追いつくんだけど、勝てなかったりする…(コンフェデのフランス戦とか)。
そういうとこも好きです。

と言うわけで、ポルトガルが負けたのも相当に悔しかったんですが、トルコがベスト4に残ったのでちょっと嬉しい大会でした。スペインが優勝したってのもやっぱり嬉しい!
それとオランダがよかったなあ。オランダそこまで好きじゃなかったけど、今大会は本当に魅力的なチームでした!
でも、一番興奮した試合はオランダーロシア戦。これは素晴らしかった。見られて良かった。

6月の祭りも楽しかった!
で、8月の祭りが2つ始まります。っていうかもう始まってます。
一つは勿論北京オリンピック。これはまあ、実際はまだ始まってないんですけど。
今年は仕事があるからあまり見られないかなあ。どうしても見たい奴は全部ビデオにしてやる!笑
男子サッカーも勿論ビデオに録りました。
残る一つは甲子園です。
また今年も始まったなあ。なんて思ったその日が8月2日でビックリしました。
今年はオリンピックイヤーだから一週間早まったんだそうで。
そして近頃やたら天気が荒れていますね。その影響をもろに受けている甲子園ですが、見ている方もものすごい打撃を受けました。
昨日まさか桐蔭戦、雨天中止になってたとはな!
今日(もう昨日ですが)は、我が群馬代表桐生第一が緒戦でしたのでしっかりビデオに録画したんですが、桐蔭戦の結末を知らなかったので、当初の予定通りの日程でビデオをセットしちゃったんですよね……。
最近仕事が遅いので帰ってすぐ寝てたからまったく知らなかった!
しかも負けたし…!!
しばらく落ち込もうとしたんですけど、もうすぐ柔道も始まるのでテンションをあげていきたいと思います笑。

頑張れ、日本!!
スポーツ TB:0 admin page top↑
* HOME *
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。