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バンクーバーオリンピックフィギュア男子シングル1:プルシェンコ
2010 / 03 / 15 ( Mon ) 03:15:29
エフゲニー・プルシェンコ。
彼が世界に衝撃を与えたのは、1998年worldだったと言う。
ジュニア最年少優勝、そしてシニア初参戦の1997-1998シーズンのGPシリーズでも表彰台に上がり、まさに跳ぶ鳥を落とす勢いの彼はそのままworldでも表彰台3位をさらう。
そのworldのFSで彼は、2度4回転に挑戦し、共に転倒。
3A-3Tは完ぺきに決めるものの、2度目のトリプルアクセルでも転倒という派手なworldデビューだった。
痩せっぽっちの小さな少年。見た目からは想像だに出来ない技術。
彼の余りに豊かな才能、そして剥き出しの闘志、まさに鮮烈な記憶と共に人々は彼の名を刻んだことだろう。
その後の活躍は誰しもが知っている。
ヤグディンとの死闘、トリノでの圧勝。
怪我との戦い、そして、今に至る。

今、とはバンクーバーでの銀メダリストとして、だ。
この結果を、凶と見るか、それとも吉、と見るか。

彼の最盛期は間違いなく1999-2002年頃になるだろう。
ヤグディンとプルシェンコ。両雄並び立つ時代にそのまま合致する。
彼らの争いはロシア国内に留まらず、そのまま世界トップを懸けた、まさに熾烈を極めたものだった。
その頃の彼らを知っている者なら思うだろう。
結局ヤグディンには叶わなかったのではないか?
彼らの能力はほぼ互角。技術ならプルシェンコが上。表現力ではヤグディンが上。
共に素晴らしい技術と表現力を携えた選手であったが、プルシェンコの上にはいつもヤグディンの名があった。
ヤグディンという選手、彼はSP、LP共、「競技」では終わらせられない「表現」として物語を紡ぐように最高難度の技術も含め演じきる力があった。

両雄優劣付け難し。
だが、総合力という点で僅かにヤグディンが上を行く。
プルシェンコは常に苦汁を舐めていたはずだ。

この時代、二人の天才が担った時代、と片付けられることが多くある。
ヤグディンは勿論、プルシェンコも伝説的なスケーターである、と語られることも、多くある。
確かに彼らは跳びぬけていた、と言えるだろう。
だが、彼らと共に闘っていた選手達は、誰もが彼らを超えることを目指し、出来うる限りの努力をして、溝を埋めていっていた筈だ。
其くして、男子フィギュアスケート界は黄金期を迎える。
「4回転時代」と言われるその時。

今でこそ、この時代は大味だ、偏重だと言われることもある。
だが、この伝説的なスケーター二人を中心として、綺羅、星の如く、素晴らしきスケーター達が次々に現れた時代でもあった。
確かにヤグディン、そしてプルシェンコが頭一つ出ていた。
しかし、この二人の独走(意味違うけど)は決して許されていなかった。
その中で4-3のコンビネーションが必須の時代になり、3連続ジャンプが生み出され、ワイスによる4Lzの挑戦や、張民、ゲーブル、本田らによって一つのプログラムに3回4回転を入れ、更に成功させるという偉業が為される。
この時代を覆っていたのは、とにかくヤグディンプルシェンコの二人に勝つ、という強い気持ちを持った選手が多いのと同時に、とにかく上へ、という強い飢餓感が全体を覆っていたように思う。

その後、この時代を彩った選手たちが次々にアマチュアを引退。
元々怪我と戦っていたヤグディンは2002シーズン途中で引退を発表。
そして、ヤグディン引退を待っていたかのように、新採点が導入される(さすがに嘘)。

この新時代の波にプルシェンコは何を思っていたのだろうか。
あの時代に活躍した選手は誰もいなくなった。
特に彼と死闘を演じてきたヤグディンの引退は大きかったのではないかと思われる。
ヤグディン引退後の2003シーズンから、プルシェンコの目下のライバルはいなくなる。
それを境に本気のプルシェンコを見ることはなくなった、と考えてもおかしくはない。
威厳、もしくは風格と言い換えれば容易い。
はっきり、プルシェンコにはあの頃の飢餓感が全くなくなった言っていい。
観客は思う。
彼が未だスケートを止めないのは、金メダルを取っていないからだ、と。

敵なし。
まさに。

ジュベールが敵意を剥き出しにして、プルシェンコに向かっていく。
それを笑ってかわす。
そんな風にも見える。
それくらいプルシェンコにとってフィギュア界はもう張り合いがないものに映っているのではないかと、思ってしまう程だ。

孤独な戦いにも、見えた。
前時代の遺産で勝っているようにも、見えた。
それくらい跳びぬけていた。
そのまま、トリノオリンピックで金メダルを取る。
念願の、4年間待ったメダル。
前評判も実力も、これほどまでに確実と思われたメダルはないのではないか、というほどの圧勝。
これで、彼は引退なのではないか?
誰もが思う。
しかし、彼は引退をしなかった。
休養という名目で、しばらくは競技界に顔を出さず、様々な体の故障をじっくり治すことに年月をかけた。
当初、彼はインタビューの中で1年間の休養と表現していた。
ところが、蓋を開けてみれば3年もの時間が流れていた。
彼は本当に復帰をするつもりだったのか?
少しの疑問が浮かぶ。

ブランクとは、言葉以上に厳しい。
たった一週間でもリンクから離れれば、感覚が狂うだろう。
ブランク明けの選手で、その後見事にカムバックを果たした選手は多くはない。
それも、3年という長期であれば。皆無に近い。
とくにプルシェンコの場合、既に27歳になっており、当時の4回転時代の選手であれば、もうピークをはるかに超え、とっくに引退をしている年齢でもある。
肉体の衰えも感じる年齢。
更に3年のブランク。
まさか、復帰できる、とは世界中で何人が思っただろう?

わたしの勝手な想像で言うなら、プルシェンコはきっと目標があった方が伸びる選手であろう。
彼がまだ幼い時、ペトレンコ、ヤグディンといった偉大な選手が目の前にいたからこそ、彼はあそこまで飛躍できたのだろう。
この3年のブランク。
これを彼に乗り越えさせる決意をさせたのは、それはきっとこの新時代の波、だ。

2004年から取り入れた新採点。
4回転を取り入れる意味がない、とも言われる新採点。
だが、2006年のトリノまでは、それまでの4回転時代に匹敵しないまでも、その時代の流れを少しは受け継いだものであったのではないか、と今は推測できる。
失敗成功はともかく、メダリスト全員が4回転を入れている。
金メダリスト、銀メダリストは、4回転からの3連続のジャンプを跳んでいる。
今思えば、これは新採点云々ではなく、選手の意識なのだとは思うのだが。
しかし、トリノ以後、更に大きく新採点が幅を利かせるようになる。
とくに顕著なのは、プルシェンコが休んでいた3年間の間に、二人、4回転を跳ばない世界チャンピオンが誕生している。
プルシェンコに大きな決意をさせたのは、この事実ではないか、とわたしは思っている。
プルシェンコの中で4回転が入らないプログラムとはあり得ないものだろう。
あの時代を闘ってきたプルシェンコにとってこの状況は、おそらく信じがたいものなのではなかったか。
このままでは、バンクーバーで4回転を跳ばないチャンピオンが生まれる、と危惧したのではないか。
この4年。
新採点の波に選手たちは翻弄されてきた。
ステップスピンのレベルを上げることに終始し、次に4回転を跳ばずに、3回転の質を上げるのか、それとも4回転を入れるのか、その辺りを含め、少しずつ方向転換しながら、2010年を迎えた。

4回転を跳ばない世界チャンピオンはともかく。
4回転を跳ばない金メダリストは、余りに象徴的すぎる。
ここにたどり着いたら、それこそもう消えかけていた4回転時代が本当の意味で終焉を迎えるのではないか。
そう思ったのはわたしだけではない。

プルシェンコがそう思ったのか否かは定かではない。
ただ、彼はきっと、4回転時代のようなジャンプ構成で金メダルを取りに行くことにこだわった。
勿論、それにこだわるが故、ステップスピンなどで点の取りこぼしがないように、しっかりと新採点を学習して、だ。

わたしは何度か、彼が引退しなかったのは、彼に引退を決意させる選手がいないからだ、と書いたことがある。
この新採点の流れでは、やはり彼に引退を決意させる選手は出てこなかったのだろう。
そして出てこないならば、プルシェンコは引退を決意しないのだろう。

だからこそ、3年のブランクに関わらず、彼はバンクーバーの舞台に立つ。
彼が、真の天才だから成し遂げられたのか。
いや、違う。
天才だけでは、到底無理だ。

飢餓感。
ひどく強い。


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