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『ライムライト』(1952/米/ドラマ)
2005 / 11 / 09 ( Wed ) 18:45:09

ネタバレしています


小学生の頃、チャップリンが好きで、彼の作品をよく見ていました
でも、小学生だから好むのはやっぱり彼のコメディを前面に押し出した方だったのです
でも、久しぶりに彼の作品を見直してみようと思って、この作品を借りました
小学生の頃のこの作品のイメージは、やっぱりまず彼の風貌でした
この作品では、それまでの彼のイメージ(黒いシルクハット、杖、小さいタキシード、だぼだぼのズボン)からすると、まるで違っていてそこにまず吃驚した気がします
そして、わたしはこの映画に好意的ではありませんでした
しょうがないけれど 彼のどたばたコメディを期待していたのだから

今思うとこの映画はチャップリンにとってとても、変わった位置にいる作品だと思うのです
これはチャップリンの晩年(映画界でという意味)に近い作品になるのかな
それまでとは一新されている 何がと言うと、主人公(チャップリンが演じる)が全く今までの像、立場とは違うのです
それまでは、一貫して同じような主人公でした
その主人公自身が皮肉屋さん それでいて主人公自身が観客でもありました 
何て言うのかな、その映画自体が一つの喜劇だったのです 観客にとって
舞台で繰り広げられる一つの世界のように見ていた気がします

チャップリンは今まで、観客に余り、疑似観を想起させるような作品作りをしてこなかったと思います
その作品自体が皮肉だから
いわば、観客は見せられているだけ ただ、彼を見守っているに他ならなかったのです
その映画を通して、その人(例えば主人公)の人間性、というか一人の人間としての像が浮かび上がってくることは殆どなかったと思います

ところが、この映画はそういう部分に切り込んだ
かつての天才喜劇役者の晩年の姿
半自伝的のような、今度は自分自身をパロディにしたような感じ(つまりこの映画では彼が演じる喜劇の部分が、彼のこれまでの映画を象徴している)
この視点には自分に対する皮肉が込められている気がしますが、全体を通して、この映画は非常に優しく作られている
今度は、観客は主人公カルヴェロのその人間性に、彼に寄り添いたくなるようにして見ている
今まで、ずっと社会が相手だったチャップリンが、今度は独りの人間を相手にした(社会を全く無視しているとは思いませんが、核の部分)
そんな映画だと思います
今思えば、ちょっとした彼の愚痴(というよりは弱音)をちらりと見せた、映画なのかなあ、とも思います
この映画、チャップリンらしくない(これは確か)とか、彼がこんな泣かせの映画を作ってしまうなんて!とかいった風に見る向きもあるようですが、私は、チャップリンは非常に優しく、実は弱いところも兼ね備えている一人の人間なのだと判って、逆に彼が愛しくなりましたそんなチャップリンもやっぱり素敵だと思います

最後のテリーの踊っている姿を見て、何だか泣けたんだ
きっとカルヴェロは幸せだっただろうと思う
「さくら」じゃなかった、というシーンも きっとテリーのこと判っていたのだろうね
でも、わたしはこの二人幸せにはなれないのだと思う
愛の深さは二人とも同じくらいだと思う
でも、愛し方が違った
テリーはいわば、自己中心的な愛 ただ、真っ直ぐに愛を表現す
たいして、カルヴェロは自分のことを決して考えない愛
自分よりまず相手のことを考えてしまう すごく悲しい愛
それがすごく切ない
彼はだからずっと、彼女の幸せのことを考えて、あの五線紙の彼と幸せになれと願い続けた
いつまで経っても平行線 お互いこんなに愛し合っているのに
最高に切ないです。
音楽も余りに美しく、愛に満ちていて、非常に好きです

この作品において一番印象に残っているシーンは、最初にテリーが劇場の支配人の前で踊った後、まさにライトが消えてカルベロが一人暗闇の中残される所、ただただ涙が出た

★★★★★(2004.4.25/DVD)



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